Shiras Civics

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「人生をどう生きるか」がテーマのブログです。自分を実験台にして、哲学や心理学とかを使って人生戦略をひたすら考えている教師が書いています。ちなみに政経と倫理を教えてます。

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かぼちゃの馬車の問題が教えてくれること

 

 

より安全に、より快適に暮らしたい

こうした欲求の存在は、人類社会を発展させる原動力として機能してきた。しかし、過度な欲求の拡大は人類にとって毒となるようだ。

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かぼちゃの馬車問題

都内でカボチャの馬車という女性専用シェアハウスの物件数が急増加している。この物件を管理するのはスマートデイズという企業であり、物件のオーナーはサラリーマンや公務員などの個人が中心である。

スマートデイズのビジネスモデルは、オーナーが管理会社に物件を賃貸し、管理会社は入居者に賃貸するというサブリースと呼ばれるものだ。

簡単に言えば、管理会社が不動産を管理し、毎月の賃料をオーナーに一定額支払う家賃保証のようなものだ。しかし先月、社長自ら支払いが困難であることをオーナーに伝えた。

背景には需要を度外視した急拡大があるという。入居者がほとんどおらず、空き家状態になっている物件もあるそうだ。オーナーの多くは銀行から個人融資を受けており、自己破産のリスクに直面している人もいる。

問題点は二つある

ここでの問題は二つある。

一つは、スマートデイズの事業の在り方つまり需要を度外視した過度な供給である。必要のない物件ができたところで、需要がないのだから、多くの空き家が生まれるだけに過ぎない。

もう一つは、銀行の融資の姿勢である。つまり、融資対象の事業に対する目利きの甘さである。これには構造的な背景がある。

日銀の超低金利政策によって銀行が企業に貸し出す際の金利が低下し、収益が低下した。そうした中で銀行は新たな販路を個人に見出し、結果として個人への融資事業が活発となった。つまり、銀行が自己の生き残りをかけて、新たな金の貸出先を作り上げたのである。

ここでどのプレーヤーにも共通しているのは、それぞれが自己利益の最大化に努めている点である。

そもそも近代社会は個人の自己利益の最大化、つまり欲求の存在を積極的に肯定してきた。そして欲求の存在自体は肯定されるべきである。なぜならそれが人類社会の発展をもたらしたからだ。

より生活を楽にしたいから、農業技術が発達し、食料の生産性が向上した。より遠くへ行きたいから、交通手段が発達した。より安心に暮らしたいから、医療技術が発達した。

では何が問題かといえば、欲求を満たそうとした結果、欲求が満たされなくなったことである。つまり、際限のない欲求の拡大は社会に不利益をもたらすのではないかということだ。

物件の急激な増加は大量の空き家を生み出した。空き家はそれ自体が社会的コストである。また、事業の将来性を無視した融資によって、破産の危機を迎える人が大量に発生するかもしれない。破産までいかずとも、賃料収入が得られなくなった人は借金の返済によって生活は非常に苦しくなるだろう。確かに融資を受けた人の中には安易に「ウマい話に乗った」者もいるだろう。不安定な時代だからこそ、安定した家賃「保証」に飛びついてしまったのも、気持ちはわからないではない。甘い言葉にそそのかされた者がいるのは確かなのだ。

しかし、無責任にも銀行が収益拡大のために安易に融資した姿勢には正直なところ憤りを感じてしまう。

必要性を超過する供給

何度も言うが、欲求自体は肯定されてしかるべきだ。しかし、今回のように需要を無視したり、無理やり需要を生み出したりといった過度な欲求の拡大は自制されるべきだと思う。

なぜなら、欲求の際限なき拡大は社会に不利益をもたらすからだ。かぼちゃの馬車の破綻はそれを如実に示している。

かぼちゃの馬車の問題は社会全体の利益と資本主義をうまく両立させることの困難さを我々に教えてくれる。低成長の時代に突入した今、我々は欲求とどう折り合いをつけていくべきなのだろうか。

 

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経済発展を支える根幹~歴史から考えるとみえてくるもの~

 

 

古今東西、あらゆる悩みは経済問題

あらゆる政権における課題に経済発展がある。それは古来から為政者が気にかけてきたことであった。現在のような高度な技術を必要とする産業とは異なり、明治以前の日本における主要な産業は農業であった。したがって、開墾による生産面積の増加や収穫量の増加が経済発展に直結していたのである。今回は経済発展を支えるものは何なのかを考えてみたい。

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経済発展を支えるものは何か

時代をさかのぼると…

平安時代の終わりごろ、大開墾時代が訪れた。畿内(現在の近畿地方)は温暖で早くから開墾が進む一方で、関東は低湿地帯で開墾があまり進んでいなかった。それが牛馬による耕作など農業技術の発展によって開墾が進み、収穫量が増加したのである。

また江戸時代の享保期(8代将軍吉宗の治世)には、大規模な新田開発が進められた。これによって全国の田の面積は江戸時代初期に比べて2倍になった。背景には、年貢の徴収方法が収穫高によって決まる検見法から毎年一定量の年貢を徴収する定免法に変わったことで、収穫量の増加が所得の増加につながったことがあるだろう。

収穫されたもののうち、余剰分は売りに出される。鎌倉時代には定期市が日本の各地で発展し、宋から大量に銅銭が輸入され、売買の際に用いられた。また江戸時代には収穫量の飛躍的増加が全国的な流通網の整備に後押しされ、物流が盛んになった。定期市ではなく店ができ、常に売買が可能になった。そうした市場の活況の根底には、そもそも消費財の生産が盛んになること、そして生産へ向かう動機を農民が保持していたことがある。収入を増やすというモチベーションが巡り巡って経済発展へとつながった。

ここで経済発展の原動力となったのは、収入の増加が大きい。しかし、根本的な支柱として私有財産権の保障があると思う。

たとえば、前者の大開墾時代では墾田永年私財法によって新たに開墾した土地の永久私有が認められている。新たに土地を耕せば耕すほど、自分の土地が増えるのである。そして、それは収穫量、すなわち収入の増加を意味していた。また、後者の大規模な新田開発に際しても、新たに開墾した者はその土地の私有を認められていた。自分のものであるというお墨付きを得られるからこそ、苦労してでも開墾に励むわけだ。

 

 経済発展の背後にあったもの

そうした私有財産権を保障するのが国家をはじめとした統一的な権力である。平安時代においては朝廷が、江戸時代においては江戸幕府が所有権を保障していた。ただし、平安時代においては朝廷の影響力が地方にまで完全に行き届かず、そのため土地の所有者が野党などから土地を守る必要性が生じた。これが武士の起こりともいわれる。

現代においても、経済発展の根幹には私有財産権の保障がある。自らの稼ぎが奪われないという安心感があるからこそ、さらなる経済活動に邁進できるのだ。したがって、経済発展を支える根本的な柱は、所有権を保障する統一的な権力の存在だといえよう。

こうした命題を踏まえれば、私有財産制を否定する社会主義「体制」がどうして行き詰まったのか、なぜ中国は社会主義から社会主義市場経済へと資本主義を一部導入するに至ったのかを理解することができよう。

ソ連や中国といった社会主義国家は私有財産を否定し、国有財産を規定している。ここでは、どれだけ努力しようが、どれだけサボろうが、結局収入は変わらない。また、あらゆる資産が国家の所有物となれば、すべての人民が公務員となる。毎日決まった時間だけ勤務すればよいのである。どれだけ働いても給与は変わらず、しかも勤務時間にサボってもよいのであれば、生産は停滞する。社会主義国家の下では結局経済発展が行き詰まってしまったのである。だからこそ、最終的には市場原理を導入せざるを得なかったのである。

 

経済発展を支えるものは何か

冒頭の問いに戻ろう。経済発展を支えるもの、すなわち経済発展の根幹には、所有権の保障を保障する政府という要素があるのだ。

 

▼ 市場は万能ではないという話です。他2記事。

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表層的な禁止~「人返しの法」と「大学定員抑制策」の共通点~

 

 

10年間ながらも東京23区内の大学定員抑制が閣議決定された。東京への人口一極集中を是正し、衰退が叫ばれる地方大学への進学者を増やすことを狙いとしている。人材育成等に取り組んだ地方大学などへ補助金を支給するそうだ。

ある政策との類似性~江戸時代版定員抑制策~

この政策を見て「人返しの法」に似ていると感じた。「人返しの法」は江戸時代の終わりごろ、水野忠邦による天保の改革の一環として出された法令である。江戸に流入してきた人々を強制的に農村に返し、同時に農民の出稼ぎや副業を禁止した法令である。

飢饉などで農村に仕事がなくなったため江戸に流入した農民を、再び農村に閉じこもらせ、年貢収入の安定化をもくろんだわけである。しかし、江戸時代の終わりには商業が大いに発展し、農村にまでその余波が及んでいたから、農民が副業として商品作物を栽培したり、出稼ぎをしたりすることを禁止したのは時代に逆行していたといえるだろう。そもそも農民だって鋤や鍬、肥料などの生産手段を用意するのに、金銭が必要だったのだから、本業である農業が立ち行かなくなれば出稼ぎ等に手を出すのは不可避だったのだ。

当然、人が戻ったところで農村の荒廃は防げなかった。つまり、人返しの法は、水野忠邦が社会現象の原因を見ずに、ただ表面的に「現象を禁止するぞ」と叫んでいることを示している。

 なぜ若者は上京するのか

同様に、23区内の大学定員抑制政策も社会現象に対する表面的な対策に過ぎないと思う。若者が東京の大学に進学するには、それなりの理由があるからだ。まず、研究環境の違いがあげられる。2004年に国立大学が独立行政法人化し、国が国立大学への予算を徐々に削っていった。東大などの一部のトップ校に資金が偏る一方で、地方国立大学の研究者は自ら予算獲得に奔走するようになり、その分研究に割く時間が減少した。研究時間の減少は論文数を減少させ、それが国からの予算をさらに減少させ、研究環境の負のスパイラルをもたらしたのである。

次に、大学のブランド価値の問題がある。学歴(正しくは学校歴)が就職活動において大きく関係することから、若者は多少無理をしてでも都心の有名大学へ進学を希望する。もちろん、地方にも面倒見の良い大学(国際教養大学や金沢大学など)はあるが、全体的な傾向としてブランド力のある大学が都心に集中しているのだ。学校歴社会である以上、学生の志向は今後も変わらないと思う。本社機能が23区内に集中する企業も多く、就職活動をしやすいことも都心への人口集中をもたらす一因だろう。

また、地方にも問題があると思う。地方はよく閉鎖的と言われる。地方に在住する人自身も自分たちの(自治体のことを含めて)閉鎖的だと自虐するそうだ。そうした場所で若者が輝ける場があるのかと思う。つまり、商店街の活性化であったり、選挙啓発などを行うために、若者が学生団体を創設したり、街の事業に参画した際、その地域の人たちに若者の意見を尊重する気風があるのかということだ。若者の感性を認めない「閉鎖的な」空気が若者の東京流入に拍車をかけているのではないか。

どちらにも共通するのは根本的な背景を見ずに、表層的な対策をするところ

若者の東京流入にはこうした背景がある。確かに地方大学の衰退は問題だとは思う。しかし、人返しの法のように、社会現象の根本的な背景にメスを入れず、単純に現象自体を禁止しようとしても、抜本的な解決にはならないと思う。ただし、天保の改革が3年ほどで終わり、それに伴い人返しの法も効力を失った一方で、新法案は今後10年間は法的効力を持つ(まだ国会で成立してはいない)。人の流れに対して強制力が働く中で、これから地方大学と地方はどう変化していくのだろうか。

 

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人が移住する理由

 

 

現在の東京都の人口は1370万人を超える。日本全体では人口減少局面に入ったにもかかわらず、東京では人口が年々増加している。これは出生数の増加だけでなく人口流入が要因として大きい。なぜ人が集まるのか。その一つの理由は生活の糧を得られるから、すなわち雇用があるからである。

 歴史的な人口流入の例

アメリカのカリフォルニアで1848年に金鉱が発見された。翌年には一獲千金を求めた人々が殺到し、その数は30万人に上ったという。いわゆるゴールドラッシュである。時代を少しさかのぼった日本でもゴールドラッシュがあった。江戸時代、当時は幕府の直轄領だった佐渡に金山があった。そこには一獲千金を求めた人々(主に農民)が押し寄せ、たちまち佐渡には5万人を超える町が出来上がった。鉱山労働者だけでなく、その暮らしを支えるための豆腐屋や味噌屋、商品の仲介を行う商人などが集った結果として町が形成されたのだ。

一方、当時の江戸には近隣から農民などが職を求めて移住してきた。江戸100万都市といわれるが、100万人もの人々が最初からいたわけではなく、幕府の政治機構が整備され、大名などが江戸で暮らすようになったため、その暮らしを支えるための労働需要が増えていったのだ。拡大する労働需要は外部からの移住者を必要とし、そうして都市の規模が拡大していった。

寛政の改革で出された旧里帰農令(援助をするから農村に帰るよう促す法令)や天保の改革で出された人返しの法(問答無用で農村に返す法令)は、江戸に移り住んだ農民を農村に返す法令である。こうした政策があったということは、幕府が社会問題として認識するほど江戸の街に移住者がいたということであろう。当然、飢饉などで農村に仕事がないから彼らは江戸にやってきたのであるが。

 現代における人口流入

このように人々は生活のため雇用を求めて移住した。翻って現代では、人々は雇用のために移住するのだろうか。ここで有効求人倍率と人口増減率を参照してみたい。2016年度の有効求人倍率は東京都は2.06であり、次は福井県の1.91である(独立行政法人 労働政策研究所ホームページより)。しかし、福井県の人口増減率は低下しており、必ずしも雇用があるから人が移住しているとは言えない。ここで言えることは雇用以外にも移住の要因があるということである。

たとえば、東京都には有名な大学が多く、学生の数が非常に多い。しかし、彼らは奨学金や仕送りという形で生計を立てており(中にはアルバイトで生計を立てる者もいるだろう)、生活の糧をすでに持っているのである。彼らの生活を支える仕送りは親の労働の賜物であるし、それが足りなければアルバイトという形で労働に従事する学生もいる。

 雇用という視点から見てみると

ここでもう一度有効求人倍率を見てみたい。2016年度は東京都が最高値の2.06を記録しているが、最低値の沖縄県でも1.03である。つまり、全国で有効求人倍率が1を下回る都道府県はなく、むしろ選びさえしなければ仕事は飽和しているのだ。

したがって、東京に人口が流入する背景の一つとして、人々が仕事を選別していることがある。生活の糧を得るための雇用であれば何でもよいというわけではなく、やりたい仕事を選んで人々は移住するのである。だからこそ、その反動としてブラック企業に対する社会的な反応があるのではないだろうか。

もちろん飢饉等の非常時は農村に職自体がないのだから、どんな職でも生活の糧が得られればよかっただろう。しかし、農村と比較して江戸での暮らしは海の幸も山の幸もあったり、日銭を稼ぐ手段が多かったことから楽だったそうだ。ゴールドラッシュだって普段の仕事を捨て、一獲千金を狙って仕事を選んだわけである。雇用が飽和しているときは、その中から選択しているわけだ。

 ただ雇用があるから移住するのか

最初の問いに戻ろう。人が移住するのは確かに雇用があるからだ。人は生活の糧を必要とし、その手段として雇用がある。ただし、それがやりたいことであるから人は移住するのである。

 

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大量廃棄問題に見る資本主義

 

 

縁起は良いが、需要はさほどなかったようである。節分の日に店頭に並んだ恵方巻は大部分が売れ残り、大量に廃棄されている。しかし、この問題は恵方巻に限ったものではない。

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 無限の資本主義

日本の年間食品廃棄量は2800万トンという。これは世界の食糧援助料の320万トンを遥かに超える量である。さて、こうしたニュースに触れて思い浮かぶのが資源の有限性である。エネルギー資源にしろ、海洋資源にしろ、この世にある資源は限られている。

そうした有限性と対極にあるのが資本主義である。資本主義とは資本が無限に自己増殖する過程を指す。つまり、カネを増やすためにどんどんカネを使うべしということだ。たとえば、もうけを増やすために工場建設にどんどん投資したり、さらなる販路を開拓するために鉄道を敷設したりすることだ。

しかし、こうした供給の拡大は需要が拡大してこそ意味を持つ。北海道新幹線の乗降者数の少なさや恵方巻の大量廃棄は需要を度外視した供給が背景にある。高度経済成長期のように人口が増加するうちは企業も成長路線を続けることができた。だが、人口減少や個人のニーズが多様化した現代においては「必要でもないもの」を従来の規模のように売ることは非常に難しいだろう。低成長に突入した現在において、高度経済成長期のように多くの人が所得を伸ばしているわけではない。所得の減少はデフレをもたらし、またサービスが飽和した現在において、個人のニーズの多様化にも拍車がかかっているのだ。

 有限を最大限に活用した江戸時代

必要でないものをどんどん売る。その結果、有限な資源が消費されずに廃棄される。資本主義の下では、儲けることが一義的であり、適切な資源利用は考慮されない。将来の世代や地球環境の行く末を考えれば、資本主義は岐路に立っているのかもしれない。ここで考えのヒントとして、超エコ社会といわれた江戸時代の村の様子を見てみたい。

江戸時代、村では百姓による自治が行われていた。そこでは、様々なルールが作られ、彼らの行動を規定していた。たとえば、入会地や海の利用に関するルールがある。海の村ではノリやコンブ、アワビ、サザエなどは漁の解禁日が決められていた。また、山間の村では入会地での鋸や鎌の使用が禁止された。鋸で木材が駆り出されれば山の資源がなくなり、鎌でこれから成長する若木が伐られて雑木まで根絶やしになってしまうからである(田中圭一『百姓の江戸時代』)。

こうしたルールは資源保護の観点から作られた。すなわち、今後も生産し続けられるような生産関係を基にした秩序が生まれていたのである。資源の有限性が強く意識された時代だったからこそ、循環社会とでもいうような超エコ社会が生まれたのだろう。

もちろん彼ら農民が先を見据えたのは、今後の生活がかかっていたからである。翻って、今年は「持続可能な発展」が国連環境開発会議で謳われてから26年となる。果たして資源保護と資本主義は共存するのだろうか。そのヒントがエコ社会といわれた江戸時代にあるのかもしれない。

europesan.hatenablog.com

〈追記〉現在、企業は設備投資を控える傾向にあるそうだ。日銀の超低金利政策によって企業にカネ余りが生じている。その一方で、設備投資を控えているために企業は次のうちどちらかの方策をとっている。すなわち、緊急時のために金をためる内部留保、あるいはM&A(買収・合併)である。

ただし、需要を無視した供給という形は変わらない。そもそも江戸時代のように小さな共同体の内部であれば需要と供給の一致は容易だったのだろうが、現代のように巨大な社会だと需給の調節は極めて難しいのかもしれない。

 

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歴史から仮想通貨を考える

 

 

2日、金融庁仮想通貨取引所コインチェックに立ち入り検査を実施した。仮想通貨に対する監視体制が強化される一方で、マネーロンダリングなど違法な資金調達の温床になるといった理由から、インドや中国など各国が仮想通貨市場の規制に乗り出している。こうした各国中央政府の規制の背景には仮想通貨市場の急騰がある。そして、昨年のビットコインの急騰などは仮想通貨の需要が大きく増加したことを示している。同じように、日本でも貨幣に対する需要が大きく増加した時期があった。鎌倉時代から室町時代にかけてである。

 鎌倉~室町時代の通貨事情

鎌倉では宋銭や明銭など中国から輸入された銅銭が広く流通した。日本でも貨幣は製造されていたが、律令国家が崩壊して以降、統一的な貨幣は作られなくなったため、代替として中国製の貨幣が利用されたのである。しかし、宋銭や明銭だけでは資金需要をまかなえず、民間の私鋳銭が作られた。

では、なぜこの時代に貨幣の需要が増加したのかといえば、三斎市(鎌倉時代、月に三日開かれた市)や六斎市(室町時代、月に六日開かれた市)などの定期市が開かれ、その決済手段として貨幣の需要が増加したからである。そのとき貨幣の信用を担保したのは貨幣自体の質の良さだったと思う。というのは、品質の悪い私鋳銭は撰銭といって質の良い銭と区別され、忌避されていたからだ。

こうした市が開かれた背景には、農業技術の発展に伴う余剰生産物の存在があった。東日本では二毛作、西日本では三毛作が行われた。農具や肥料の改良なども相まって、生産力は大きく向上した。米以外にも麦やソバ、各種野菜などが作られていたという。

こうした貨幣経済の浸透について本郷和人氏はこう述べている。

ことに1225年から1250年の間に日本列島に急速に貨幣経済が浸透していく。それは土地を売買するときの証文が、〇〇石というコメによる表示から、〇〇貫と銭による表示に代わっていくことからも確認できる。(本郷和人『日本史のツボ』204ページ)

銅銭の輸入は平清盛日宋貿易に遡る。

「日本最古の通貨は何か」という問いに、私なら、和同開珎でも富本銭でもなく、清盛が輸入した銅の宋銭だったと答えるでしょう。銭というものは、大量に出回ってはじめて、通貨として機能するわけですから。(同201ページ)

余剰生産物は市場活動を活発にさせる。その際に、売買の仲立ちとして貨幣が不可欠だった。しかし、日本の貨幣鋳造技術は未熟であり、だからこそ宋銭の需要が高かったのである。

仮想通貨との比較

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翻って仮想通貨を見てみよう。鎌倉時代室町時代と同様、通貨に対する需要が大きく高まったために、昨年度のようなビットコイン市場の急騰が生じた。

しかし、それは決済手段としての需要ではなく、あくまでも投機の対象としての需要である。事実、日本ではまだ仮想通貨を決済手段として採用する企業は少なく、さらには今月2日LCCピーチ・アビエーションが仮想通貨を決済手段として導入するのを無期限延期にすることを明らかにした。日常生活レベルでも仮想通貨を利用できる店舗やサービスは極めて少ないと実感する。

こうしたところから、現状において仮想通貨は決済手段ではなく、あくまでも投資の対象としてしか見られていないと思う。また、銅銭など目に見える形で保管できず、さらには流出のリスクもあるとすれば、そうしたリスクが低くなったと人々がみなさない限り、普及は難しいだろう。なぜなら、貨幣が貨幣として機能するには人々のそれに対する信用が必要だからである。今のところは得体のしれないものだから、撰銭の対象になっているという所だろうか。仮想通貨に可能性を感じる一方で、その危うさも感じてしまう。

主権者を養うためには

 

 

 次の高等学校学習指導要領では主権者教育の推進が謳われるようだ。「公民」の中で新たに設置される「公共」は主権者教育の推進の鍵となる科目である。以下は記事の一部抜粋である。

新たな科目「公共」とはなにか

「公民」の中に必修科目として新設される「公共」は「様々な選択・判断をする際に手がかりとなる概念や理論、公共的な空間における基本原理を理解する」ことなどを目的に、政治参加に向けた基礎知識について、討論や模擬選挙などの活動を通して政治に参加する資質を育む科目だ。授業では現実に直面している諸課題をテーマに設定し、安全保障問題や領土問題、国際貢献における日本の役割などを主題とするほか、情報の妥当性や信頼性をふまえた公正な判断力を身につけるメディア・リテラシーの育成も行う。(読売新聞「高校、主権者教育充実…安保・領土題材に新科目」2018年1月31日朝刊1面) 

「公共」の目的の一つは、政治参加の際に手引きとなる基本原理を、討論や模擬投票などを通じて、その原理を実際に使いながら学んでいくことだと思う。たとえば、選挙の際に候補者のマニュフェストの中からどういった社会保障政策がよいのかを資本主義と社会主義の二項対立の中で評価したり、刑罰の問題について普遍主義や文化相対主義で考えたりということが挙げられよう。ある概念を実際に使いながら判断力を身につけていくのである。

ちなみに新学習指導要領には「公共」の目標が以下のように書かれている。

人間と社会の在り方についての見方・考え方を働かせ、現代の諸課題を追及したり解決したりする活動を通して、広い視野に立ち、グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の優位な形成者に必要な公民としての資質・能力を次の通り育成することを目指す。

(1)現代の諸課題を捉え考察し、選択・判断するための手がかりとなる概念や理解について理解するとともに、諸資料から、倫理的主体などとして活動するために必要となる情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身につけるようにする。

(2)現実社会の諸課題の解決に向けて、選択・判断の手がかりとなる考え方や公共的な空間における基本的原理を活用して、事実を元に多面的・多角的に考察し構成に判断する力や、合意形成や社会参画を視野に入れながら構想したことを議論する力を養う。

(3)よりよい社会の実現を視野に、現代の諸課題を主体的に解決しようとする態度を養うとともに、多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される、現代社会に生きる人間としての在り方・生き方についての自覚や、公共的な空間に生きる国民主権を担う公民として、自国を愛し、その平和と繁栄を図ることや、各国が相互に主権を尊重し、各国民が協力し合うことの大切さについての自覚などを深める。

「公共」の目指す資質の獲得

こうした資質の獲得は非常に時間を要すると思う。そのためにも、教室の中で主権者教育の実践を繰り返し行っていかなければならない。態度や資質を身につける前に学校を卒業してしまえば、こういった訓練の場は失われ、社会問題への関心や思考の手順を忘れてしまう者もいるかもしれない。だからこそ、小学校や中学校など早い段階から主権者教育は行わなければならない。

判断力は選挙だけでなく、社会問題などについて考える上で非常に役に立つ。社会に出てからも継続して求められる能力だからこそ、高校からではなく小学校から継続して主権者教育を行っていかなければならないのだ。しかし、それだけでは不十分である。以下の記事が非常に示唆に富んでいた。

www3.nhk.or.jp

環境要因の重要性

この記事の終わりでは、政治に興味を持つうえで家庭の雰囲気が大事だということが述べられている。上記のような能力を獲得しても、そもそも対象について興味を持たねば思考は始まらない。主権者を育てる主体には学校だけでなく家庭も含まれている。したがって、家庭に対する啓発事業など生涯教育も併せて行わなければならないと思う。長年の訓練の成果として、関心を持ったり、考えることが当たり前の感覚となることが理想なのだ。主権者を養っていくのはかくも労を要することなのである。

 

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自由民主主義の価値

 

 

中国が目覚ましいスピードで発展を遂げている。台頭する中国を賛美する声が増えていく一方で、日本やアメリカ、EU諸国など自由民主主義諸国の凋落ぶりを嘆く声が聞こえない日はない。しかし、それでも私は声を大にして言いたい。自由民主主義にはそれ自体価値があるのだということを。

 権威主義自由民主主義

権威主義国家において、人々に政治的な自由は保障されていない。たとえば、中国では共産党に対する批判や天安門事件をはじめとした人権弾圧など、政権にとって不利益な情報は検閲の対象になっている。また、ロシアにおいても反政権デモが度々行われているが、その度に主謀者が拘束されている。教科書にもそうした情報は記載されていない。真実が隠蔽されているのだ。

一方で自由民主主義国家においては、政治的自由などの基本的人権が保障されている。自由に物事を考え、それを意見表明し、時には政権に対して示威行動をとる自由が認められているのだ。日本やアメリカでは首相や大統領に対して批判することはもちろん、「(全く品のない)罵詈雑言」ですら認められている。

権威主義国家に対して自由民主主義国家には、こうした利点がある。しかし、問題はそうした利点を活用しよう、つまり権利を行使しようとする人間が減少していることである。日本をはじめとした先進自由民主主義国家では投票率が年々減少している。政治参加から距離をとっている人が増えているのだ。政治過程に参加しない人が増加すれば、現状に対する追認となる。どのような政策をしても為政者がそれを追認と受け取れば、民主主義とは名ばかりの実質的な寡頭制となってしまうだろう。

 経済が発展している間は不満はない

経済が成長し、分配政策が適切になされているうちは権威主義であろうが、自由民主主義であろうが、人々に不満は生じづらい。しかし、成長が鈍化し、分配政策に陰りが見えれば、人々は不満を政権に対して抱くようになる。権威主義国家ではそうした不満を政治過程が吸い上げる仕組みを持たないが、自由民主主義国家ではそれが選挙や世論という形で政治過程に吸い上げられる。権威主義体制と異なり、自由民主義体制の下では、市民の行動次第で政治が変わりうるのだ。

 変えられるチャンスは市民にある

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ここで言えることは、権威主義自由民主主義の大きな違いは、変革の主体が権力者か市民かどうかだということだ。重要なことは、変革の主体であるという自覚を市民がもち、実際に権利を行使することである。そうでなければ、せっかく保障された権利は名前だけの中身のないものとなってしまう。何か社会に不具合が生じたとき、それを自浄していく自己変革能力が自由民主主義にはある。その成否は市民が行動するかどうかにかかっているのである。

行動しようという意欲があっても制度が整備されていなければ、結局気力はそがれる。不満があれば、異議申し立てをできる環境があることが自由民主主義の強みなのだ。だからこそ、行動し続けることを市民は求められるのだ。

韓国は「自由」民主主義国家か

 

 

今月10日、韓国が日韓合意に関して一方的な新方針を打ち立てた。文在寅大統領は、合意に関して「再交渉は求めないが、真実と正義という原則に立った解決を促す」と謳った。日韓合意は「最終的かつ不可逆的な解決」ではなかったのだろうか。

 

 日本と韓国の共通性

日本と韓国は自由民主主義という価値観を共有しているといわれる。自由民主主義は自由主義と民主主義という異なる概念が歴史的に混ざり合ってできた政治体制の原則である。自由主義を制度的に具体化したものとして法の支配や権力分立があり、一方民主主義を制度的に具体化したものとして選挙や国民投票などがある。ここで、日本と韓国は本当に自由主義と民主主義という原則を共有しているのか考えてみたい。

 

 そもそも自由主義とは

自由主義とは、個人が自ら意思決定できるように権力者の恣意的な介入を防ぐことを原則とする。つまり、権力者(人)の暴走を法によって防ぐことを根幹に据えている。ここにおける法とは正義に基づいた法であり、そうした正義の法に基づいて統治が行われることを法の支配という。

しかし、現代社会においては価値観が多様化し、あらかじめ正義について共通の理解が存在し得ない。ましてや歴史的背景や文化の異なる国家間ではなおさらであろう。したがって、両国間の合意が互いにとっての正義となる。日韓合意が「最終的かつ不可逆的な解決」を謳ったのであれば、その正義(合意)に従うことが法の支配を尊重することになる.

また、現行の国際法には「合意は拘束する(Pacta sunt servanda)」という原則がある。両国間が一旦合意したのであれば、その合意に拘束されなければならない。韓国は一方的に新たな方針を出して、これを反故にしたのであり、法の支配という原則を自ら放棄しているのである。

 

 民主主義の視点から見ると

ただ、合意を発表した当時と政権が交代したのだから、合意は「今の」韓国世論を反映せず、正当性がないという批判がある。確かに、日韓合意は公式の文書が交わされておらず、日韓の外務大臣が共同記者会見を開いて発表されたものである。条約ほどの法的拘束力もない。しかし、世論を反映していないから正当性が欠けているというのは、民主的な正当性の欠如の問題であり、自由主義の射程を越えている。つまり、こうした批判の前提には、法ではなく人が統治の根幹になっているのである。民主主義という次元からの批判なので自由主義の放棄についてはなにも言及していないに等しい。

 

つまり?

韓国が国内世論を受けて、日韓合意に関する一方的な新方針を立てたことは、「合意は拘束する」という国際法の原則を破ったことを意味する。さらには、合意を両国にとっての正義と解釈すれば、法の支配を自ら放棄したともいえる。したがって、日本と韓国は民主主義「は」共有するが、法の支配といった自由主義の諸原則は共有していないのである。 

 

苦しむなかれ、中身のない言葉に。

 

 

コミュ力全盛期

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「コミュニケーション能力」、いわゆる「コミュ力」という言葉が幅を利かせている。お笑い芸人などの当意即妙な返しや話の面白さが過度に理想化され、「コミュ力が高い・低い」という評価に一喜一憂する人が増えたように思う。かくいう私もそういった評価をとても気にする性分だった。

 

共通了解を作ろう

 

しかし、言われた人物が、低評価を気にしようが、「コミュ力」を改善することは不可能である。というのも、「コミュ力」という言葉自体が極めてあいまいな言葉であり、感覚的に評価がなされているからである。つまり、評価尺度が明確に言語化・段階化されておらず、そのため共通の基準がないままに評価がなされているのである。

たとえば、コミュ力を「他者と適切に意思疎通する能力」と定義すれば、いくつかの踏むべき行動の段階が見えてくる。まず「自分の思いや考えを言語化できること」が求められる。さらには「それを他者が理解できるよう順序立てて説明できること」、「相手の気持ちや思いを否定せずに、共感の態度を示すことができる」というように細分化をすることができる。逆に言えば、目標もない状態で、どうやってそれ達成し、さらには如何にして達成できたと評価できるだろうか。定義がない状態では不可能なのである。

言葉の持つ影響力

もしも、こうした定義がなされずに、自分が信頼する人物から「コミュ力が低い」と言われたとしよう。その言葉は言われた当人にとっては大きな衝撃を与えるだろう。「コミュ力」がもてはやされる今の社会で、自分の「コミュ力」が低いという評価は時に強迫観念のようにまとわりつくかもしれない。しかし、改善する手立てはない。なぜなら、「コミュ力の構成要素の中でも、何ができないのか」が明確でないため、具体的な改善策を立てられないからである。

昨今の「○○力」を安易に使う風潮には強い憤りを覚える。定義もされず、何が悪いのか感覚的に評価される。評価される人物にとってはたまったものではない。もちろん日常会話や世間話ではさほど気にする必要はないのかもしれない。しかし、コミュニケーションは礼儀やマナー、言語など互いが共有する媒体を通じてなされる。評価をする立場の人は「○○力」が何なのかをしっかりと定義し、さらには何ができて何ができていないのか、その構成要素を明確にしてほしい。それが相手に対して真に思いやりあるコミュニケーションである。

 解決策

逆に、「○○力」が低いという評価をもらった人は言った本人にその評価尺度を聞いてみよう。案外感覚的なものだから、気にするまでもない発言なのかもしれない。そして、自分が「○○力」が低いと感じたら、その力を定義し、さらにはそれを構成する行動の段階に分解してみよう。そうすれば、自分は何ができるのか、何が苦手なのかが見えてくる。こういった思考習慣を取り入れてから、自分は他人からの評価をあまり気にしなくなったし、安易に○○が低いと他人に言わなくなった。