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実践する思考

主に社会科学と教育に関して、また読んだ本の書評も書いていくつもりです。

あらゆるところにある「空気」

電車内での出来事である。私の近くに親子4人が座っていた。その内の1、2歳くらいの男の子が泣いていて、親がなだめても泣き止まない。思わずそちらに目を向けると、母親と目があった。気まずい。しかし、うるさいものはうるさい。だがいよいよ耐え切れず、視線を反対方向へ向けると、この車両に乗っているほとんどの人が親子の方に顔を向けていた。中には眉間にしわを寄せ、不快感を顕にしている人もいた。


不思議だと感じた。誰ひとり彼らに注意しないのに、嫌悪感はむき剥き出しにしているのである。無言の注意であろうか。まさにこれが「空気」や「同調圧力」と呼ばれる状態なのだろう。そうした車内の空気には、「迷惑だから、泣いている子供をなだめろ」というメッセージが込められており、それに則って親子は行動していたといえる。だから、誰一人として具体的な「声」を上げなかったのである。

だが、もし親子が空気を読まなかったらどうなっただろうか。つまり、泣いている子供を放置していたらどうなったか、ということである。おそらく、誰か注意する人が出てきただろう。あるいはTwitterなどのSNSに「泣いている子供を放置する親、ありえない」などと書き込まれたかもしれない。それが拡散されれば、「日本人の民度が下がった」「母親失格」などという書き込みがなされるかもしれない。


このように、空気に則った行動をしなければ、レベルの差こそあれ制裁が加えられる。ただし、空気が醸成されるには、そこにいる人たちの間である価値観が共有されていることが前提となる。今回は「子供が泣いていたら迷惑なので、なだめるのは当然」という価値観が車内のほとんどの人に共有されていたのだろう。


「空気」はある程度の間柄で醸成されると思っていたが、そんなことはなかった。今回の例のように見知らぬ人との間にも空気はあったのだ。ただし、それはあくまでも「日本人」という間柄に限った話である。些細なところから日本文化が垣間見えた。