実践する思考

主に社会科学と教育に関して、また読んだ本の書評も書いていくつもりです。

「国民」って誰のこと?

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平成27年9月15日、学生団体SEALDs代表の奥田愛基君が参議院特別委員会の公聴会で意見陳述を行った。その中で彼は、「国民」の多くが安保法制に反対している趣旨の発言をしていた。以下は彼の意見陳述の一部である。

 

①「この安保法制に対する疑問や反対の声は、現在でも日本中で止みません。つい先日も国会前では10万人を超える人が、集まりました。しかし、この行動はなにも東京の、しかも国会前(だけ)で行われているわけではありません。私たちが独自にインターネットや新聞などで調査した結果、日本全国2000ヶ所以上、数千回を超える抗議が行われています。累計して130万人以上の人が路上に出て声を上げています。この私たちが調査したものやメディアに流れているもの以外にも、たくさんの集会があの町でもこの町でも行われています。まさに、全国各地で声があがり、人々が立ち上がっているのです。」

②「国民を馬鹿にしないでください」

③「私は先日予科練で、特攻隊だった方と会ってきました。…そうした世代の方々も、この安保法制に対して、強い危惧を抱いています。私はその声をしっかりと受け止めたいと思います。」

 

①にある彼らが持ち出してきた数字だけを見ると、確かに反対する国民は「多い」と感じる。しかし、現在日本には約1億2000万人が暮らしており、そのうち130万人といえば、0.000001%である。また、③の発言では戦争を体験した世代(当時20歳だとして90歳以上の世代)が一様に安保法制に反対しているような論調であるが、それはフィクションでしかない。というのも、政府の人口統計によれば、90歳以上人口は現在約150万人であり、その全員が同一の意見をもっているというのは有り得ないからだ。

 

辞書を引くと、国民とは「国籍をもつ国家の構成員個々人,あるいはその全体」、または「一定の領土に定住し,共通の文化・社会体験をもつという想定のもとに,政治的な統一組織を作り上げた人間の集団」とある。つまり、「国民」に国家を構成する一人一人の個々人と、その集合体という二つの意味がある。国民主権憲法に明記されている日本では、国民が統治行為の究極的な権威だ。この場合の国民は集合体としての国民である。

 

奥田くんは意見陳述全体の中で10回「国民」という言葉を用いている。②のような「国民を馬鹿にしないでください」などという発言から察するに、その意味するところは「集合体」としての国民だろう。だが、集合体としての国民は現実に存在せず、「想像」上のものでしかない。③の発言で言及されているように、彼らは確かに「多くの」安保法制反対者に会い、話を聞いたのだろう。しかし、目に見える部分だけで「個々人」を「集合体」に格上げし、「国民が反対している」などという考えに至るのは早計に過ぎる。また、たとえ意見をもっていても、声を上げなければ意見は見えてこない。彼らはどうやら、自分たちが聞き取った声が「多くの」国民の声だと思っているようだ。

 

確かに「国民」の中には安保法制に反対している人が「多く」いるのだろう。しかし、「賛成」している「国民」もいる。少なくとも僕は賛成派である。学生である彼らが具体的な行動を起こし、国会で意見陳述するまでした行動力にはただただ脱帽するしかない。だが、彼らの姿勢には僕は全く共鳴できない。目に見える大きな声だけを拾って、さもそれが「民意」であるかのような都合の良い解釈をし、そうした言説を流布する姿勢は、扇動者のそれである。そうした姿勢こそ、彼らの言う「民主主義の危機」を促進するものだと思う。