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実践する思考

主に社会科学と教育に関して、また読んだ本の書評も書いていくつもりです。

歴史を教えるということ


教師が学校で歴史を教えるということはどのようであるべきなのだろうか。そもそも歴史とは何なのかということを考えると、一般的に歴史とは「過去から現在までの変化の様子を記録したもの」である。つまり、歴史とは社会や文化、思想から地形までの、ありとあらゆる人間の営為の変遷を記したものなのである。そして、現代は過去の事象の積み重ねの上に成り立っており、歴史とはその堆積していく様子を記録したものに他ならない。

とすると、現代というのは、歴史の最先端にあるということである。そこで営まれている行為は、やがては歴史として記述される運命にある。実際、社会は一人一人の個人の集合体であり、個人が作り上げていきながら、その集合体としての全体が変化していく。つまり、個人の態度次第で社会の方向性に大きな影響を与えることになる。それゆえ、今現在の生き方や未来への展望を描く際には、最初に自分自身、言い換えれば自分の生きる現代を無批判で受け入れることなしに、冷静に検討することが必要になってくるのである。

そうした検討を可能ならしめるものは、比較という視点である。すなわち、現代と並列して存在し、比較検討する現代とは別の時代が必要となる。その「別の時代」は複数あったほうがよく、また空間的にも広がりを見せたほうがよい。すなわち、日本史だけでなく世界史をも学ぶ必要性がここに出てくるのである。だから、歴史を学ぶことの意義というのは、その比較検討の材料を多く手に入れるというところにある。私たちや私たちの世界を絶対化することなく相対化していく視点を育むために、歴史を学ぶ必要があるのだ。現代において「常識」とされていることを疑い、社会をより良い方向に変化させていく考察を可能とさせることが、歴史教育の果たす役割である。

だから、社会の構成員の一人にとって、こうした歴史的知識はかくて必須の教養である。しかし、実際の教育現場では歴史は単なる受験科目や暗記科目になり下がっているようだ。従って、教師は児童・生徒が現代を相対化する視座を養うきっかけを提起していくようにしなければならない。教師は歴史を単なる過去の事象ではなく、それが変化して現代社会の基盤となっていることを伝えていかなければならない。また、過去と現代の事象を比較することで、「今」を考えるきっかけを与えなければならない。歴史を教えるということは、現代と過去を不断に往復するきっかけを児童・生徒に与え、現代を考えさせることなのだから。

 

<追記>

何かと理由をつけては、ブログから遠ざかっていました。気づけば、最後にブログを更新してから5か月が経過してしまいました。今後は、できない理由を探すのではなく、継続的に記事の執筆に取り組みたいと思います。